
Artista em Residência

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青木海人 / Kaito Aoki
Mixed Media / ミクストメディア
Residence Period : 2021.24th-May to 30th-May
レジデンス滞在期間:2021.5/24~5/30
Results Exhibition : 2021.2nd-Jun to 13th-Jun
成果発表会:2021.6/02~6/13

Interviwer : Masanori Satoh / Kyoka Nagai / Kinya Sekimoto
インタビュアー:佐藤雅宣 / 永井京花 / 関本欣哉
Q : レジデンスに入ってみようと思った最初のきっかけは?
A : 新聞記事で青野文昭さんの展示の記事を見つけて、その記事が載ってた日が最終日でしたので、青野さんのを観に行きたいなと思ったのが最初のきっかけでした。
Q : 実際、レジデンスに観に来て頂いたときは、「レジデンスをやってみたいな」と言う気持ちはありました?
A : そうですね。。。。少なからずはあったと思います。元々、東京都内で制作と展示をやる予定だったのが無くなって、仙台にいったん帰って来ていて、そこから考えようと思った矢先だったので。何かを思う間もなく、感覚的に面白そうと思って、なるべくしてなった感じ、身を委ねて流れていく感じでした。スタートがそんな感じでしたので、展示にも一貫してそれがあったと思います。
ずーっと、どこからくるのか分からない「あ、これでいいんだ」「あ、良い空間だな」って感じで流される感覚。
いま、振り返って思うと、やりたいという思いはあったと思います。
Q : レジデンス期間の制作中でどういう変化がありましたか?
A : 最初の時と、終わりの時、成果発表の時とか。だんだん、何かが固まってきた感じがありました。
ある程度、「これでいいのかも」と思うタイミング、空間自体が、僕と言う人間がではなく、空気とか風とかが一体化した時に、固まってきた様な風に感じました。
作品を置いて行く中で、空間や作品と同じように、自分自身がモノとしてそこに一体化していく感覚があって、事実は違うけど、気持ちとして一体化していく感じがありました。何かを観察したり、感じ取ったりした上で、意識になる前に無意識でまとまっていったもの、体が感じたり何か「あ、いまだ!」って合図される感じ。そこはいつもと変わっていないんですが、遠刈田に滞在していると言う「日常ではない」中で、自分がそこに馴染んでいく感じと、作品を作って行くのが同時進行で進んでいました。
それは、「ここに来て作品を作るんだ!」と言う気持ちともまた違う感覚でしたね。
定点観測をすると、まるで間違い探しの様に日々作品に変化が生じていた。



Q : 青木さんの作品は、馴染んでいるようで馴染んでいない不思議な感覚を私は受けました。そして、一体どういう意識や意図で作品を作って行ったんだろう?という興味がレジデンス期間が過ぎていく毎にどんどん湧いてきました。
A : その当時、「その行動を振り返る」でしか話は出来ないし、昨日の自分や当時の自分、いまの自分も違いますが、身体はずーっと地続きで続いていて、その感覚でしか語ることは出来ないんですが。。。。その展示の時の空気感や凹凸、風の通り方とか、誰かが入ってくるとき、ひとりだった時、全部含めて、その一瞬で「あ、こんな感じがいいかも!」とか、夢みたいに動いている情景があって、携帯のスクリーンショットを撮る時みたいに、考える前に身体が反応して「カシャッ!」って形にしている。
でも、後で見て「あれ?違うかも」って思ったりの繰り返しでした。
そして、だんだん自分の頭の中と実際の空間がリンクしてきて。。。。最後は「自分」でした。
一応、自分をカテゴリーしないと誰も興味を持たないので「作家です」とか「美術的なインスタレーションをやってます」とか人には言いますが、自分自身は実はあまりピンと来ていなくて、普通にご飯を食べたり、どこかに行く人と全く変わらないんです。
私自身が生存戦略と言うか、コミュニケーションをとる上での答えが、今回の作品であり、対話である。。。。。そんな意識や意図だったと思います。
Q : 実際にコミュニケーションと言う部分で、地域内外の大人や子供たちとどんなコミュニケーションが出来ましたか?
A : 子供だから、大人だからは関係なく、その空間の中に来るとか、空間の前を通り過ぎるとかも含めて私自身の中ではコミュニケーションと思っていて、境目は無い感じでした。そうした中で石粉粘土の塊をわざと公園に放り投げてみましたが、それは、良い事も悪いことも含めて「こうなるだろうな」と言うのをわざわざする必要もないのに、わざとする感覚でした。
コミュニケーション(=レジデンスの部屋)が、その中だけではなく外にも行った感じ、コミュニケーションについて一番分かり易く出た行動だった気がします。繋がっていないようなところも繋がっていたり、これだけだと思ってたことが、包括されていたり、色んなものに含まれていたりと、フラッシュして見える事が沢山あった時間でした。全部含めた中で、人の顔とか、具体的なものが一番蘇る、見えるものでした。もちろん、それが良いか悪いかは分からないけど。
石粉粘土を子供たちが色々な事をして遊んでいて、沢山の痕や土がついたりして、そしてそれを自分が拾う時はもっと俯瞰してて、その時の心の状態や、自分がどうだったのかはあまり見えていなくてフワッとしてましたが、今改めて思い返してみると、前述の様なコミュニケーションと言う部分の表現だったのかな?と思いました。
レジデンスに踏み入れると、東大寺の阿吽像の様に必ず目に飛び込む2つのオブジェ


Q : 作品の中で、灯油ストーブとか、傘立てを使って作り上げた作品がすごくアイコニックに感じました。あの二つはどういう意図があったのでしょうか?
A : あの2つが私の中で、軸と言うかアンテナに近かった存在。最大のキャッチ―なポイント。その2つが帯びている空気感があることによって、何かが大なり小なり変わって行く事に対して、言葉を与えてくれたり、私自身の中の「眼」の様な感じのものです。
もし、その2つの関係も含めたものを作品名だったり、言葉にするのであれば「眼になったもの」と言うか「眼」そのものと言った所でしょうか。
Q : 経歴をお話した時に、元々の美大での専攻はテキスタイルだったのに、なぜ今の様な方向に傾倒して行ったのでしょうか?
A : 高3の時までは、何をしたらいいかは分からなくて、何をしようと言うのも全く考えていませんでした。ちょうどその頃、ファッションは元々好きでしたが、そこから発展して「生地そのもの」がすごく好きになっていた時期で、生地に特化した大学に行こうと思ったら、須藤玲子さんと言うテキスタイルデザイナーのビックネームの方が東京造形大の先生をやっている事を知り、そこに行きたい!と思い、入学しました。もちろん、4年になったら須藤玲子さんのゼミを取る予定だったんですが、2年生の時に、先生が学校をやめるとなり、それまで先生とべったりだったのに学べないと分かった時から、大学に行かなくなり、独学で民芸や工芸、色んな所を観に行ったりを1年位やっていました。そうしたら、自分の中で、いつの間にかテキスタイルと言うものが「布」ではなく、「テクスチャー」になっていて、「布はたまたま偶然、『繊維』だった」と言う事に気付いて、そこからは一気に視野が広がり、他にも沢山の材料がある事に気付きました。そこからは生地だけに関わらず、他の材料についても勉強をし始めて、自然の勉強とかもするようになって、自分で植物を育てて染料を作ったり、鉱物だったりを見ていく中で「自分がやりたいのは平面では無くて立体なんじゃないのか?」と言う事に気付いて、立体の作業を模索していく中で、一番しっくりくるのが「捏ねる」と言う作業でした。
捏ねる作業は、アタマの中で考えている時と同じことを身体でやっている気がして、それで辿り着いたのが「石粉粘土」。
もちろん、陶芸も嫌いではないのですが、焼くと言う作業は「自分の中では違うな」と思っていて、自然乾燥と言うのもいいし、重さもちょうどいい。一番、自分の身体を使って作っている感覚になれるのが「石粉粘土」でした。
学ぶ範囲が広がることで「拘らなくてもいい」と言うことを沢山知りました。テキスタイルをやめたというわけでは無く、良い生地が見つかったり、作り方が見つかったらそっちの方向に行く事も全然あり得ます。
Q : さらに、その場にあるモノやそこに転がっているものを使っていますが、それとはどういった関係があるのでしょうか?
A : 「一番自然である」のがそこでした。「どれが一番自然なんだろう?」と言うのを求めていて、人が居ないはずの場所に、その人がそこにいるとか、気付いていないだけで、エネルギーをものすごくつかったり、環境がエネルギーを求めている状態にしようとしていると思うんです、人は。
そういう考えから、「そこにあるもの」が一番自然だった、何かを表現しようとしたときに「一番自然だった」ので、流れ着いてきたモノをつかうようになっていきました。
だから、何かを表現するときとかは粘土だけ持って行ってます。あとはその場所で「どう粘土とコミュニケーションをとるか?」、「どう人とコミュニケーションをとるか?」と言うのが私自身のその土地その土地での表現であり、成果物だと思います。
作品はレジデンスの全ての空間を使って表現されていた。
拾ってきたモノ、そこに落ちてたモノ、様々なモノが、
石粉粘土と共に作品としてそこに在った。





Q : 遠刈田で作品を作ったことで見えてきたモノや、次に挑戦したい事とかはありますか?
A : あの場所に滞在して、やれたことで、自分の人とのコミュニケーションの可能性がグッと上がった。「スタートがこうだったらこうなんだ」とか「こういうこともできるんだ」とかが分かりました。そういうのがきっと次に繋がっていくんだと思います。
作品や想いそのものはそこで帰結しているので、それを何かというわけでは無いけど、地続きの身体、無意識の中にあることがこれから生きていくという意味で、すごく可能性を感じる期間でした。
遠刈田だったからと言うのは間違いなくあるけど「なぜ遠刈田だったのか?」と言うのは今でも全然ピンと来ていません(笑)。具体的になりそうなもの、輪郭が付き添うようなものはこれまでずっと避けてきていて、今回のレジデンスでその精度がさらに上がって行った気がします。
Q : 改めて、出身は?
A : 宮城県仙台市、宮城野区です。ずーっと周りの景色が田んぼの所で過ごして、造形大に行くときに上京して、2年通ったあとは、勤めながらそのまま東京にいて、ちょうど契約が切れるタイミングでこっちに戻って、ゆっくりしてみようと思って実家に帰って、今に至ります。
Q : 東京、仙台、遠刈田。。。。と言う流れで、これから拠点としてやってみたいところとかありますか?
A : あまり定住出来ないタイプなので、色んな所に行くんだろうなと思っています。
でも、やっぱり県内でやるのはすんなり落ち所がありますね。昔の自分の記憶とか、筋が良く見えます。そういう部分では、宮城と言う地はすごくやり易いし、反面やりづらい部分もあります。やっぱりそれは、宮城に自分が住んでいて身体や記憶として覚えているから。
Q : 「遠刈田レジデンス」に実際滞在をしてみて、今後この場所はどういう風に成長していった方が良いと思いますか?
A : いまはすごく雰囲気やクオリティが上がって行っている時期で、どこかできっと到達点に達すると思っています。
でも、私自身にしてみたら、生まれてきたら壊して。。。の繰り返しの凸凹していた感じの方がアーティストとしてはやりやすいと思っています。
もし、空間としてその場が出来上がってしまうと、レジデンスの魅力は半減してしまう。生まれて壊すのスパンが短い方がレジデンスとしての成長なのかな?と思いました。
Q : 最後になりますが、レジデンスの率直な感想を是非!
A : 嬉しいとかは分からなかったけど、すごく幸せな時間でした。対話する事がこんなにあったのが幸せ、よかったなーと言う感じでした。
フクダマコト / Makoto Fukuda
Photo, Monochrome Copy / 写真、モノクロコピー

ゆず丸 / Yuzmaru
Drawing(Felt-tip Pen), Cotton Cloth / サインペン、サラシ


Residence Period : 2021.21st-May to 25th-May
レジデンス滞在期間:2021.5/21~5/25
Results Exhibition : 2021.23rd-Jul to 30th-Jul
成果発表会:2021.7/23~7/30
Interviwer : Masanori Satoh
インタビュアー:佐藤雅宣
※Remarks F:=Makoto Fukuda, Y:=Yuzumaru
※注 F:=フクダマコト、Y:=ゆず丸
Q:レジデンスをやって頂いての率直な感想を。
F:わりと何も考えずに、深く考えずに始めてみました。ただ、やっていく中で意味や意義がどんどん深まっていき、最終的には自分でも思っても居なかったようなところに着地したのが面白かったです。
Y:レジデンスと言っても実際は通いで、滞在が出来なかったのが心残りだったんですが、その分一回、一回、来た時に何が出来るか?という部分に意識を働かせていました。どうなるかは自分自身も同じように予測してなくて。。。でも、フクダさんが展示のイメージを提案した時に、何か面白くなるだろうってのは確信していました。それでも完成形は全く予測できていなくて、自分が作ったのに「初めて見たもの」みたいな感激がありました。同時に、展示を楽しんでくれたお客さんもすごく共感して感激してくれていて、お客さんがそこで感じた感覚をシェアしてくれたとき、自分もそこで気付くことも多かったです。イラストや作品の展示会は何回かやったことあるけど、今回の成果発表の展示会はそうした部分が初めての感覚でした。
Q:2人とも個々に展示会は経験済みだと思いますが、今回のレジデンスの成果発表と、どんな違いがありましたか?
F:一言で言うと写真展では無く「インスタレーション」でした。ただの作品展示だけじゃなくて、創り上げるまでのプロセス、展示してからの会期中の経過をも含め、やっていく中で意味がどんどん増えていきました。実は、展示の部分の打合せ等を全くしてなかったのですが、かえってそれが良かったのかもしれない(笑)。
Y:いままでは「作品を発表する」だけど、今回は「一緒に作った」ってのが大きくて、作品自体も実はこれで完成では無く「まだ終わっていない」状態。これをまた展示してみたいと思っていて、大きな時間を経て、もう一回展示する事によって意味があるって思えた展示でした。
Q:今回の大きなテーマは「街のアーカイブ」と言うことで、実際に街の人たちとコミュニケートしてみてどうでした?
F:観光地の商店街の人々の割にはシャイな人が多いって感じました(笑)。僕の作品はあくまで「街の風景をコピーする」だったので、あまり突っ込んだ感じで撮影に臨まなかったんですが、店主さんで「いやいやオレ写真なんか!」って言う人が結構多かったです(笑)。商店主で、しかも観光地だったら、割と自分とお店と一緒に写りたいって想いはあるんじゃないかと思ったけど、そうでもなかったみたいでした(笑)。
Y:子供たちはすごく素直。一緒にやってて楽しい感じでした。小さい学校のせいかもだけど、学年同士の縦の繋がりの関係性もいい感じでしたね。イラストに協力して貰ってた時、後ろで親御さんたちが待ってたりした場面もあったんですけど、「ほらー!こないだ先生言ってた人達だよー!!」みたいな感じで、結構理解してくれてたのが良かった。学校の協力体制が素晴らしくて、本当に楽しかったです。
F:僕の作品の中にもう少し人の気配を盛り込みたかったと言う欲もあったんですが、撮影日は天気も悪かったし、人通りも少なかった。だからこそ、ゆず丸さんの作品は逆に「人の気配の塊」みたいな作品に仕上がっていて、レジデンスで展示した時に、その足りないと思っていた部分を見事に補完してくれて、あの空間が「一つの作品」としてうまくかみ合った感がありました。
二人は街へ出た。
それぞれのメソッドで街を切り取り始めた。


Q:今回の作品の話に移りますが、どういうコンセプトやステートメントで創り上げていったのでしょうか?
F:「街を複写する」がメインコンセプト。自分自身がコピー機の部品になったイメージです。街を平面的に隙間なく複写をしていって、演出などを込めずに、ただただ淡々と建物を隙間なく正面から撮って行って、パネル化する時も、モノクロにしてコントラストをわざと高めに、限りなく白黒に近い感じで。出来るだけ要素をミニマルなものにして、街の形と言うか輪郭を出力してみました。そして、そうして平面化されたものを繋げてレジデンスの中で再構築してみました。
Y:私は逆に最初から「ここの街と、自分の絵」をどう関わらせるか?と言うのを考えていて、自分一人で仕上げるよりは、ここの人達となにか出来ないかな?と考えていました。で、手形とかが面白いかな?と思っていて、全部で60人くらい。。。ひとりひとりの名前は憶えていないんだけど、家に持って帰ってから、その手形の人たちが手形をトレースして貰っている最中に何か話していたことや、その時の音、それら色んな物事が、自分自身はカタチで見えるので、それを残したいなと思って、こんな感じにしました。
だから、一個ずつ全部違う。。。と言うか、むしろそうにしか見えない。会った人のしゃべり方とか、そういうのをカタチと線にしてる。自分自身が感じたものを模様と言うカタチに具現化して手形の中に残して見ました。
フラット化された街のコピーたち

街の人の「手」の輪郭に、そのとき感じたカタチがゆず丸の手によって記録されている。

Q:そういう視点で見ると、ゆず丸さんのは多様性を象徴、一方で、フクダさんの作品は対称的にフラット化されていて、ものすごいコントラストが生まれていますね。それがあの一つの空間の中に展示したことで、見に来て頂いたお客さんはどんな反応でしたか?
F:冒頭にも述べた「会期中に意味合いが増えた」話になるんですが、お客さんが入る事で、今回やったことの意味が増えて行った。淡々と街をコピーして、レジデンスの中に吊るす形で再構成する。そこに、お客さんが入って、ぶつかったり、扇風機や外気の風で揺れることで、その現象が「街の姿だな」と気付きました。揺れることは「街の変化」を象徴していて、「街は変化するからいい」のであって、変化しない街は衰退している街だし、衰退している街は変化はしない。この街の変化を、願いと言うか、祈り的な部分も、展示の期間中に出て来ました。それは遠刈田の街が変化しながらいい街であって欲しい。僕自身も同じような環境に住んでいるから、そういう願いも展示の間にだんだん生まれてきました。そうした中で、ゆず丸さんの作品がますます人の気配として強くなって、来て頂いたお客さんに手形や足形をさらに追加して貰う事によって、どんどん展示に意味合いが増えて行って、展示そのものが作品と言う解釈から、会期中に起きた物事も作品になって。。。最終的には「この街全てが作品」になっちゃった感じ。すごくいいインスタレーションでした。
Y:わたしたち以上にお客さんは色んなものを感じてくれて、色んなことを話してくれて、自分自身も気付かない事が沢山ありました。みんな気さくに手形や足形も書いてくれた。逆に、自分単体だけの展示だったら意外と怖い(笑)。手形だけがあって、そこに変な模様があって、布だし、長いし(笑)
そこにフクダさんの写真と一緒に展示と言うのがすごく良くて、意味もあって。。。上を見ると写真があって、ふと横を見ると、手形があって、ひとりひとり違う模様になっていて、それも街なんだなって思いました。それを見ながら遠刈田について熱く語り出す人も居たりして(笑)。
Q:今回の経験を経て、今後自分の活動にどう影響してくると思いますか?
Y:自分一人だけで作るもの良いけど、関わって作品を作ることが心地いい。今回は誰かがいないと成り立たないというのが楽しかった。そして、終わって「何年か後にまた見て欲しい」と言う気持ちも生まれた。いままでは、あまりそう言うのは無くて、誰かと一緒にやるってのはまた全然違う感覚で、またやってみたいなって思いました。
F:僕自身はアーティストでは無くて、依頼で撮影をするフォトグラファーなので、写真家でもない。アーティストと言う部分では、まだまだひよっこです。でも、ずーっと意識の中にあるのは「街」。僕自身、新庄の田舎にある商店街の中で生まれて、一度関東に出てUターンして、そこからは、よりどっぷり自分の街に浸かってるので、「街」と言うのは自分のライフテーマで、ストリートフォトとして撮るのはすごく好き。自分の作品としての一つの大きな要素であります。今回は、自分の街ではない街を撮り、作品を作ることで、やっていくうちにどんどん意味合いが増えて、自分が予測もつかない面白い結果になった。そう思えたことがすごく良い経験でした。
会期中、文字通り「来場者の手」によってさらにアップデートが施されていく


Q:今後、この遠刈田レジデンスを続けて行く上で、要望や在り方とかあれば是非聞かせて下さい。
Y:「表現をする人たちの場所」だけじゃなくて「表現に触れる場所」になって欲しい。誰でも「自分の表現が出来る場所」になって欲しいと思いました。表現ってさまざまだし、実は何でも良いわけだし、「安心してここで表現していいよ」って場所になって欲しい。
子供たちは言われなくても分かってる、でも大人になるにつれて、どんどん出来なくなっていったり、人と比べたりとか、そうしたことを感覚として覚えて行く事で、「自分の表現」を忘れていってしまうから、そういうのを思い出してもらう場所になって欲しいなって思いました。そして、ここはきっとそういう場所になると思う。
自分の周りの話になるけど、レジデンスに興味を持っている人たちがいっぱいいて、でも近隣なので「滞在しないで通いでも出来る」ってスキームがあると良いかもなって思いました。卒業制作みたいなのにすごく憧れがあって、制作だけに取り掛かれる環境って言うのにすごく憧れがある。アートスペースとレジデンスの中間の様な要素があってもいいんじゃないかな?
F:まず反省点になっちゃうんですが、告知不足でした(笑)。もっともっとたくさんの人、色んな人に来て欲しかった。少なかったけど、少ないなりに来てくれた人たちの全てが良い反応してくれたから、もっとより多くの人に来て貰えたら、もっと多くの意味を抽出できたかもしれない。やってることをもっとウマく告知したり出来るといいなと思いました。
ロケーションとして、道路から一段下がった場所になるので、何をやっているのか?が分かり易い仕掛けがあると良いなと思いました。
入って行っていいのか?が分からない場所と言う感覚はまだあると思うので、構造としてそこが分かり易くなってくれれば、より多くの人が関わってくれるようになって、より多くの変化をもたらしてくれると思います。それによってお客さん、アーティスト双方で色んな意味をお互いに抽出出来るんじゃないかな?と思いました。
Q:最後にもう一度、改めてレジデンスをやってみてどうでした?
F:やっぱり、やっていく中でどんどん意味や意義が膨らんでいきましたし、それによって作品そのものが変わっていきました。それが本当に新鮮で面白い経験で、その経験が出来たことが一番の収穫でした。いまは、それを再現してみたい、再現出来るのか?と言う検証をしてみたいと思いました。他の場所で同じようなことをやったらどうなんだろう?とか。。。
Y:「いま」のカタチを残せたのがすごく大きかった。もう一回展示がしてみたいと思いました。数か月後とかじゃなくて、10年後とか20年後とかにやってみたい。大きく時間軸をずらして見てみたい。それは「歴史」と言う意味合いも出て来るし、それを見てみたい。
今回の作品を時を経て子供たちが観た時に「そういうことをやったな」「そんな面白いことをしてた人達がいたな(笑)」って思って欲しい、そこに居た人達を思い出すようなものになるんじゃないかな?記憶のどこかに残るんじゃないかな?って思っています。
亀井桃 / Momo Kamei
Digital Drawing / デジタルドローイング
Residence Period : 2021.4th-July to 17th-July
レジデンス滞在期間:2021.7/04~7/17
Results Exhibition : 2021.1st-Nov. to 30th-Nov.
(as In-train advertising of subway in Sendai)
成果発表会:2021.11/1〜11/30
(「仙台市営地下鉄東西線」車内広告として展示)

Interviwer : Masanori Satoh / Kyoka Nagai
インタビュアー:佐藤雅宣 / 永井京花
Q:レジデンスを終えて1ヶ月半経っての感想を。
K:かなり特殊な体験をさせていただいた。自分の中でも初めての試みだったので、改めてどこで自分が何をするかを考えさせられた。どういう場所で何をしたいのかっていうのと、気づきがいっぱいありましたね。宮城出身なのもあるので、身近に思っていた場所が改めてよく見えてきたというか・・・身近な場所になることで気づいたこともあったし、あとは、物作りはタフじゃないとやれないなぁと思ったりしましたね。
Q:今まで具体的なオファー受けて作るものが多かったと思いますが、レジデンスは遠刈田にまつわるものという自由なくくりでしたが・・・
K:かなり自分の感性が重視されると思うんですよ。そういった時にこうやっぱり自分が一番良い状態じゃないと、自分の作品というのは生み出されないんだなぁというのがあって、私自身があまりヘイトとかマイナスな感情で物作りをしないタイプなので、一見暗そうな反骨精神に見えるかもしれないんですが、意外と暖かい気持ちでそれをやってたりするので、ふざけてるというか・・・なのでやっぱり新しい土地とか普段と違う環境で自分がそこの、私は性格上その場所のためにできることってなんだろうなとか感じることとかそれをつなげて形にしていくっていうのが面白くもあり、難しいことなんだなぁと思ったりもしましたけど、嘘がつけないので作品を描くとかって言う中できつい時はきついからっていうのがありましたね。
パンクス精神を表現したこけし

Q:残していってくれたこけしはどのような意図で描きましたか?
K:あれはパンクス精神の現れでどこの土地にいてもそこに媚びることは私はないなと思ったんですよ。ぶっちゃけ。ただ、こけし職人さんとか街にリスペクトがあるんですね。なのでその合間ですね。自分がやれるものはこういうこけしづくりかなというのを落としてみたというか、単純にこけしをつくりたかったし、自分が思うかわいいこけしってどういうのかなって思ったときに自分のルーツを掘った時にああいう精神性がポップであり何かしらの意思を感じるもの、かわいらしいものをこけしにしたかった。
Q:単純に興味本位なのですが今鳴子にいったらどのようなこけしをつくりますか?
K:コロナとかもあっていろんな気持ちがご時世的なものもあってフラストレーションみたいなものも私はすごいたまっているので、そういうのもあるんだろうなって感じますけど・・・鳴子でもやりたいですね。
様々な環境の変化の中
アウトプットされた作品たち



Q:(残していってくれた作品の中から)こけし橋とビキニの作品が面白いと思ったのですが・・・
K:あれも私なりのパンク精神ですね。なんかあえてああいう堅いものにいろいろ厳しい世の中ですけど、かわいい女の子に書き方とかでいったらなんだこれはと思うかもしれないというものをどうポップにかわいく落とすかというものがやっぱりあって、単純に私はあれをかわいいと思うので、こけしの橋にビキニ女子がいたらグラビア的に、最近グラビアが好きなのもあるんですけど、単純にいいなぁと思ったっていうそれだけですかね、そういう遊び心ですね。線も良い感じでまとまってましたよね、色合いも。こけし橋とビキニ女子は普段から見るとかけ離れた光景だと思うので、でもなんか、特集があったらありえる話というか、SFすぎず、面白いかなぁという感じですね。
Q:桶女子の服の色はなぜ黄土色に?
K:最初は白Tに赤字のマークを入れてたんですよ。温泉マーク。白Tはラフっていうかわかりやすいので最初それだったんですけど、背景を最初入れてなかったんですね、女の子を立ち絵で書いてたので、その後に背景を当ててから赤とか黄色とかやったんですけど、浮いてるなっていうのと私の感じた街の色とちょっと違うなぁと思っていて、いろいろ後ろと調整とっていったときに、後ろはざおうさまで緑だし、赤とか入っているので落ち着いた黄色を少しこもらせた黄土色がバランスが感覚的によかったのであれになりました。赤とかもあてて試して最後悩んだんですけど、黄土色のほうが温泉っぽいなぁと。あと自然の色を壊さないを意識していますね。
Q:レジデンスに入ったことによって普段と違う状況だったと思うのですが、街の人との関わりとかどのようなことが印象深かったですか?
K:橋の向こうに住んでる大宮さんという方が訪ねてくれて「うちに来なさいよ!」っていわれて橋を一緒に渡って街の説明をしていただきながらついていってお家にお邪魔させていただきて、その方も絵を描く方でいろんな街の話とかここで生きてきた話をお伺いしたんですけど、知らない場所の普段と違う環境に一人で2週間いるっていうのはかなり孤独感があったので、その大宮さんがお菓子だしてくれたり、「いつでもきてね」と言ってくださってすごい救われた感はありましたね~。なかなかその期間に自分の性格上もあるんですけど、あとやっぱこの街でいろいろあったりしたので、その期間になかなか自分から心を開いてウェルカムみたいな体制をとれなかったのでそれを反省とは言わなくても、レジデンスにいるという中で、そこにいる人は必ずしもウェルカムみたいな状態でものを作らなければどうなのかっていうのは自分的には、その最中も後からも考えましたね。今度自分が違うレジデンスに入るのであれば、その点はどういうスタンスで入るのが正解なのかは未だに私はわかっていない、だからこの最近遠刈田のレジデンスのインスタの写真とかを見ていてみんなオープンにやってらっしゃるのが見えたので、本来はこうあるべきなのだとうかっていうのと、自分にとって制作というのはすごく閉ざしたものなんですよ。私にとっての絵を描くっていうのは、自分の対峙なので、そういうのをあの環境でやるっていうのはどれが正解だったのかはやっぱりわからないですね。
Q:レジデンスは今後どうあればいいなっていうのはありますか?
K:完全に環境設備かなぁ・・・時期も時期だったので・・・私は結構神経質なので、寝るときの音とか、大分快適だったんですけどね~。私的には本当に執着とか根に持つとかじゃなくてあのいろいろ起こっちゃったのと、なんかイベントとか在ればよかったのかなというのは・・・私が企画するべきだったのかなとも思うんですけど、もうちょっとこっちから用意するのは難しいところですけど、何かしら一回大きなここにこういう人が入っているので、オープンデーじゃないですけど、中学校とか強制的にでも土地の人たちと関わる機会が一日でもあったほうがよかったのかなとは思いますね。それを自分から申し出るべきだったのかなと思ったりもしますし、そこは難しいところではありますね。あとプレイスタイルにもよりますけどね。私の場合はイラストだったので、なおさらこう見えにくいというか立体ではないし・・・難しいなぁ・・・
Q:もし一ヶ月半すぎて、明日からまたレジデンス入ってくださいとなったら、どのようであればいいですか?環境や運営の部分、自身の部分でも結構です。
K:これは完全に私の問題になるんですけど、レジデンスに行っといてあれなんですけど、完全に一人になれる時間がやっぱりない体感があって、常にざわざわしているというか、それはしょうがないんだろうなって思うし、どうしてもあそこ絶対人に何かあったら見られるじゃないですか。制作スペースとみえるところをある程度分ける必要はあるのかなと思ったり、その方が人も入りやすいんじゃないのかなぁと思ったりしましたね。人それぞれのところがあるので難しいなぁというのはありますね~。自分がこうだったからレジデンスに変わってほしいということはないですね。
Q:複数制作していただいたイラストのプロセスごとに何をどう感じてどうアウトプットしてきましたか?
K:最初は散歩などをして、私はこう見えましたというのをラフ・スケッチしてこうだったらいいなというものを描いていましたね。その中ではっきりカラーなどで描いていったのはやっぱりあそこにいた時間で良いことだけじゃないことがたくさんあったりして自分の中ではそういうのをすごく感じていてそれを自分なりに消化した感じがあのPOP絵なんですよね。どこにいてもいやなことってマイナスな意味じゃなくて合わないなぁとかそういう言葉に感じるかもしれないんですけど、おかしいなと思うこととかこれはこうじゃないのかな?と思うこととかってあって自分は言語化するのが嫌いというか苦手というかその中でやっぱりぶつけるのではなくて面白くしたいというのがあるのでそういうので消化されていったっていうのが精一杯だったのがあのPOPなものというか、私なりのあの街に足りない要素を足したという感じですかね。っていうニュアンスがしっくりくるかな。それが自分の中ではっきりくる解釈というか理由付けというか説明ですね。何かしら足りない要素というか変えてく力とか・・・すごい良い場所だとは思ってますよ。けんかを売るつもりじゃなくて、現代にも感じることでなんですけど、若いパワーというのが必要かなとなんとなく感じましたね。
多様な心の「動き」が切り取られ
POP絵への願掛けを込めて。


Q:それを経て最終的にB2の一つのPOP絵の説明をお願いします。
K:今言ったことの集合体というか・・・その上で私的にはですよ、広告になるんだったらっていう、普段も広告的なことをやったりして、自分の中でやっぱりそれを作るんだったらこうしたいという自分ルールがあってその中ではあれが人の目に広告として地下鉄に貼られるんだとしたら、そこにいきたいと思ってほしい思いが一番あったんですね。その中で自分が思う街を私の描ける絵っていうのが私はPOPアートでやりたいので、その中で描きたいんだったらどういうのかなって滞在期間にずっと考えてて、スケッチみたいなドローイングっぽいじめっとしたものも好きなんですけど、広告としてデザイン画とかもやってる中で自分が作りたいのはPOPでいろんな多くの人の目に入ったときにわかりやすく伝わるものだったので自分なりに街の解釈を入れつつ、是非行ってください、足を運んでくださいという気持ちが表れたのが、真ん中に女の子をおいてかわいらしいものにしたいなという、自分の記憶もかわいらしいものであってほしいなという願掛けみたいなところはあると思いますね。